日々、昔の習慣が消えつつある昨今ですが、毎年、節分に関しては、とても盛り上がっています。
芸能人や各界、歌舞伎界の方などが、大きな神社で節分の豆まきを行っては、それがワイドショーなどで、放送されています。
そこでも、投げるものが節分の豆ですが、これを「年の数だけ食べる」というのは、あなたも知っていますよね。
では、この「年の数」ですが、その数え方は、数え年でよいのでしょうか。
そもそも、なぜ、年の数だけ、節分の豆を食べる風習があるのでしょうか。
(1)節分の豆の数え方は、今現在の年齢である満年齢をベースにする
まずは、節分の豆の数え方ですが、これは、今現在の年齢である満年齢をベースとする、という答えが正しいでしょう。
しかし、食べる豆の数は、満年齢に、1個プラスした数を食べます。
節分に豆を食べるのは、健康や幸せを手に入れるためということです。
そして、これらが来年も持続できるようにということで、今の年齢に1つプラス(来年分)して、豆を食べるのです。
「じゃあ、いまだに数え年で年齢を数える韓国人はどうなのだ?」なんて思いますよね。
しかしながら、韓国にはこの風習はないにしても、日本でこれをやる場合は、彼らの年齢の数え方に、1つプラスするのがベストかもしれません。
特に、決まりもないので、あくまでも個人の考え方次第ですが。
(2)節分の豆は、年の数にこだわらなくても大丈夫
ちなみに、節分の豆は、年の数にこだわらなくても大丈夫です。
年齢を重ねるごとに、当然、食べる豆の数は増えていき、正直、何十個も食べれば、苦しくなりますから、食べられるだけにしておきましょう。
そうしないと、気分や体調を悪くすることもありますので、健康や幸せから、逆に遠ざかってしまう結果となります。
(3)なぜ、年の数だけ節分の豆を食べるようになったのか
なぜ、このように、年の数だけ節分の豆を食べるようになったのかというと、この習慣は、実は、庶民にはなく、宮中で行われていたものでした。
元々は、節分には、神社やお寺にお参りに行き、その時に、鬼が出て参拝者を食べていたのです。
そこで、鬼の親分と神様が約束をして、豆をまいて育てば人間を食べてもいいが、育たなければ食べてはならないとしたのです。
豆は育たず、鬼は人を食べなくなりましたが、道で転ぶくらい弱った人間は食べさせてくれ、疲れて転んだ人間は食べないからと懇願し、神様は承諾しました。
その後、神は、参拝者に道で転ぶことがあれば、「疲れたから転んだ」と、はっきりと言うよう、人間に伝えました。
それに、鬼は炒った豆が嫌いで、これ以降、炒った豆を投げて鬼を追い払うようにして、人間が鬼に襲われなくなるようになったのです。
この話に由来して、今現在は、家から鬼を追い出せるように、「鬼は外、福は内」と言って、炒った豆を投げる習慣が残っているのです。