霞が関は、東京都千代田区の地名であり、東京の官庁街です。
また、地下鉄の霞ケ関駅と言えば、あの忌々しい地下鉄サリン事件を思い出される方も多いかと思います。
しかも、遂に、その時に事件にかかわったオウム真理教元幹部たちや教祖であった松本智津夫にも刑が執行されました。
そのため、この事件がまた、私たち日本人の記憶に呼び起こされましたよね。
もちろん、被害者や遺族はこの事件を忘れた日なんて1度もないでしょう。
いずれにしても、霞が関は、テレビのニュースで話題になることが多いです。
この記事では、霞が関の意味、人口、地名の由来について、ご紹介いたします。
(1)霞が関の意味は?
霞が関につきましては、東京都千代田区南部の地名です。
桜田門から虎ノ門に至る一帯ですが、中央官庁街として有名です。
そのため、中央官庁や官僚組織全体を指していう言葉としても、よく使われます。
また、特に、外務省について、「霞が関外交」と言うことが多いです。
したがいまして、テレビのニュース番組などで、「霞が関」という言葉が出てきたら、中央官庁や官僚組織全体のことをまとめて表現していると考えると良いでしょう。
あるいは、その話の内容によっては、外務省について言っている場合もあります。
(2)霞が関の人口は?
さて、そんな霞が関ですが、人口はどの程度なのでしょうか。
霞が関は、色々な省庁がある場所であり、ビルだらけで、人なんて住んでいないだろうと思っている方が多いかと思います。
しかしながら、実は、一応、ここに住んでいる方は、いるのです。
その数たったの1名と、どこでどのように暮らしているのか謎ですよね。
ただし、この人口は2017年現在のもので、実は、霞が関の人口は増えています。
今現在、霞が関3丁目に男性2名、女性1名の3名3世帯が暮らしています。
日本人か外国人かはわかりかねるのですが、日本の経済を支える町で、一体どんな生活を送っているのか、非常に気になるところです。
(3)霞が関は、土日は町全体が静まり返る
霞が関周辺には、コンビニは大量にあっても、大手のスーパーはありません。
また、食べ物屋さんは、あくまでも、公務員やビジネスマンを狙って、店を開けています。
そのため、土日は居酒屋さんであっても、ほとんどやっていないです。
また、平日も、20時を過ぎたら、町全体がかなり静かになります。
まさに、霞が関は、政治とビジネスの町であり、住宅街とは、かけはなれたところと言えるでしょう。
(4)霞が関の地名の由来は?
では、霞が関の地名には、どんな由来があるのでしょうか。
霞ヶ関の地名の由来には、実は、いくつか諸説があります。
その1つは、大和武尊(やまとたけるのみこと)が、蝦夷の襲撃に備えて、武蔵国(今の東京や神奈川)に置いた関所を霞ヶ関と言ったという説です。
また、関所に、なぜ、霞が関という名前がついたのかというと、関所から雲霞を隔てた遠方でも、きちんと見えるようにという所から来ているのだそうです。
ちなみに、江戸時代に作られた地図の中には、すでに「霞ヶ関」と記したものも存在しています。
ただし、この場所に関所があったということに対しては、疑問が持たれております。
霞が関に「霞が関跡」として石碑が立っているのですが、本当に関所があった場所なのかは、正確には分からないのが現状のようです。